母校沿革

 本学院は、野田新弼元理事長・院長が、キリスト教の信仰に立ち、キリストの光を世に証するために、長く熱い祈りのうちに創立した学院である。伊達町出身の斯界の権威であり工学博士でもある故吉田五郎氏より顧問としてのご尽力を受け、昭和37年に3,982㎡の所有地を基本財産として、初代役員の祈りと協力のもと、聖光学院工業高等学校として発足したものである。開校直前には室戸台風の影響による校舎倒壊といった大きな打撃を受けたが、世評をよそに開校に漕ぎ着けたのは、創立者野田新弼元理事長の強い信仰とその同労者たちの熱い思いに縁るものである。
 後に、産振法や理振法の他、県市町村助成金や私学振興基金、日本私学振興財団資金や銀行融資及び寄付金等によって必要設備の拡充がなされた。昭和49年には3,880㎡の新校舎完成に伴い一層の特色ある実習設備を得るに至った。又、昭和61年1月完成の体育館や、平成元年3月完成の総合運動場は特筆されるものである。
校訓に「神と共に働く人に」をかかげ、心身ともに調和のとれた人間の育成を志し、工業国日本の技術革新に備えた人格の育成、さらに国際化する日本の現状を踏まえた語学教育と国際教育を活動の中に具現化してきた。既にその卒業生は14,000名に達し、各地での活躍は国の内外に通じて誇れるものがある。
 創立以来、勤労者青年育成のために夜間定時制を併設、地域社会へ奉仕大なるものがあったが、時代的流れから志願者減少を見るに至り、昭和48年に募集停止を余儀なくされた。一方、大学進学率の上昇は抗いがたく、それに伴う普通高校への進学希望者数は激増した。ここに普通科教育の中の精神教育の重要性を痛感し、昭和49年より普通科を増設した。昭和52年に聖光学院高等学校と改名、加えて昭和54年より女子生徒に門戸を開放し、学院の教育に厚みを加えた。
 昭和60年に情報電気子科、昭和63年には情報機械科の設置を見たのも情報化社会役立つ人材の育成を目指したものである。平成元年より普通科強化の始動、平成4年からは情報機械科の一層の充実を期してメカトロニクス科と名称を変更した。